観察で、自分の子どもの専門家になる。
長いことデザインの仕事をしているが、僕の強みは「観察力」だと思っている。
デザインの仕事は、対象をよく観察して、そこに隠れている課題を探りあてる作業でもある。クライアントが「こうしたい」と言うことを、そのまま受け取ってはいけない。言葉の裏に隠れているものを読む。
子育てでも、同じ考え方ができた。
子どもがまだ幼い頃は、子どもの見方を間違えていた。
彼らが床に転がって泣き喚くとき、「なぜこんなことで…」と思っていた。
何度言い聞かせても聞かない。
「うん、わかった!」
そう言った直後に、また同じことをする。
わけがわからず、イライラすることもあった。
けれど、子どもたちを見ているうちに、
彼らは “小さな大人” ではないのだと考えるようになった。
感覚も衝動も、世界の受け止め方も、大人とはずいぶん違う。
むしろ、大人とは違う仕組みで動いていると思った方が、彼らの行動を理解しやすかった。
幼い子どもたちは、理性よりも衝動が先に来る。
興味が湧いたものに躊躇なく手を伸ばす。
疲れていても、自分ではそれがよくわからない。
エネルギーを使い果たすまで遊び続け、スプーンを口に運ぶ途中で眠ってしまう。
気持ちをうまく言葉にできないから、苛立って物を投げたり、誰かを叩いたりもする。
これは別に「悪い子」の話ではない。
ただ、そういう仕組みで動いている存在の話だ。
仕組みがわかれば、見え方が変わる。
観察を重ねるうちに、子どもの気持ちが読めるようになってきた。
顔つきや声の調子、歩き方や手指の動きのような小さな変化からも、
「今この子に何が起きているのか」が、少しずつわかるようになった。
本で得た知識もとても役に立った。
知識はアンテナになって、目の前の出来事に気づかせてくれる。
『あ、あの本に書いてあったのは、これか。』
知識が、目の前の子どもと結びつく瞬間だ。
「子どもの顔を見ていれば、なんとなくわかる。」
その感覚も、観察を重ねると『 やっぱりそうだったか 』と思える場面が増えてくる。
そんな経験が増えていった。
子どもが小さいうちは、言葉で身体で、まるごと全部で気持ちを語ってくれた。
大きくなってくると、そんな簡単にはいかない。
だから彼らの「 言葉と表情の間 」を読むようになった。
長男が中学生になったころ、学校から帰ると真っ直ぐに部屋に入って出てこない日があった。何かあったのかと思い声をかけたが、返事はそっけなかった。
『学校どうだった?』なんて言ってみたが、やっぱりダメだった。
あとで妻に言われた。
『わざわざ聞かなくても、話したくなれば話し出すよ。』
夜になって、長男は自分からキッチンにやって来て、ぽつぽつと話し始めた。
高2の長男と中3の次男は、今ではもう自分の部屋で過ごす時間の方が長くなっている。
以前のように、リビングで一日中家族でいっしょにいるようなことはめったにないが、
ちょっと言葉を交わしただけでも、なんとなく心持ちが伝わってくる。
観察は、子どもとの距離が変わっても続けられる。
子どもたちが何を感じ、何に喜び、何に悩んでいるのか。
彼らが成長した今も、あの頃と変わらず、表情を見るようにしている。
*この話につながる記事*
日々の観察のおかげで思春期の揺れる気持ちに気づくことができた、
ある日の出来事を記事にしています。
ここまで読んでくださり、
ありがとうございます。
思春期の子どもたちとの暮らしや、
子どもとの関わりに迷ったときのことを、
これからも少しずつ書いていきます。
更新は以下から受け取れます。





スーさん
「小さな大人ではない」すごく響きました。ほんとにそうですね。一丁前なこと言うときもあるけど、小さな大人ではないわけですね。よく観察し、寄り添うようにしたいなと思わせてもらえる記事でした😌ありがとうございます。
スーさん、はじめまして!お子さんへの眼差し、距離感、愛情が伝わってくるエッセイですね。長男さんが、自ら話をしてくれるところも、普段からのスーさんの関わりあってこそだと思います。これからも発信楽しみにしています!